不完全で 大切な人たち


先日、父が亡くなった。
20年以上前から彼の死を覚悟しなくてはと思いながら
その現実が怖くてしかたなかったわたしに、
それから長い日々をプレゼントしてくれた父。
見送る時間だけはくれないまま
まさに「生の延長線上にある死」を体現するように逝ってしまった。


彼の死がもたらしたのは、深い悲しみとさみしさだけでなく
予想外のものがたくさんあったことに、正直驚かされている。
やっと書けるようになったので、自分の備忘録として少しずつ残したい。


病気と障害のため、父は長年、ほとんど隠遁状態の生活を送っていた。
(生前わたしが「絶滅危惧種(=めったにお目にかかれない)」
とからかっていたこと、愛情をこめた台詞だと思ってゆるしてほしい)
そんな父は数年前から遺言を書き始めていて
ちょうど半年前、家族であるわたしたちにその遺言が送られていた。
家族葬をおこなうことなどを含め、浄土真宗門徒として生きた彼らしい
シンプルで迷いのない遺言だった。


そんな状態であったにも関わらず、彼の死に際して
縁のあった友人、かつての仕事仲間、近所の方々が訪れてくださった。
あらためて感じた母やきょうだいの存在の大きさと共に
これらの方々が、わたしを不安と悲しみから救ってくれたように思う。


母を励ましながら、急におとずれた最期を一緒に看取ってくれたmiちゃん。
葬儀までの裏方をmiちゃんと一手に引き受けて、癒しの笑顔で迎えてくれたkさん。
わたしが知らない大変な時期に、常に支えて力になってくださったoさん。
たくさんの四葉のクローバーをつんで、棺に入れてくれたmaちゃん。
「今までは遠くに住んでたけどこれからはいつも一緒」と言ってくれたmyさん。
これまでも、そして父の死後も、母とわたしを癒してくれるyさん。
気丈で豪快で涙を見せたことがないのに「さみしいねぇ〜」と泣いてくれたmさん。
「亡くなってもできることがあるんだね」と父の死に顔に癒されてくれたkaさん。
「わたしがしてもらったようにお母さんを遊びに誘うよ」と言ってくれたkuさん。
いつも採れたて野菜を運んでくれて、葬儀にもずっと立ち会ってくれたkmさん。
「(母の連れ合いだった)お父さんは幸せだったね」と明言してくれたmuさん。
「どうしても顔が見たい」と遠方から朝早くわざわざ駆けつけてくれたsさん。
仕事の合間に長距離バスで駆けつけ、タバコとビールでお別れしてくれたjちゃん。
ブロ友として「いつか本当に会いたかった」と温かい言葉を贈ってくれたmkさん。
「学生時代助けてもらって」と誰も知らない話をしてくれた盟友dさんの息子さん。
長く顔を見せない主宰者を、辛抱強く待ち続けて下さった俳句仲間のみなさん。


わたしがお話しできた方の一部を書きとめておくが
ほかにもたくさんの方が会いにきてくださったり、言葉を贈ってくださった。
本当にありがとうございます。


父が教えてくれたことの1つ。
彼はとても「不完全」な人だった。
けれど人は、不完全であってもよいのだということ。
そしてすべての不完全である人が、等しく尊重される存在だということ。


実際にはそうではない現実を前に、自分はどうしたいか。
「不完全」なわたしが、これから生きていく道のりだ。