「分からない」ということ

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自分が何を書いてたっけ?と思い、
ブログのバックナンバーを見ると
2006年8月に今と同じようなことを書いてる。


震災があって、福島の原発事故が起きて
自分の中のモヤモヤした感覚をつかまえたい気持ちになっていたけど
核や原子力に対する危機感を、以前から持っていたことに気づいた。


ただ「危機感」や「怖さ」をどんな風に表現すればいいのかは、よく分からなかった。
正直それは、今も自信を持つことができないけれど
福島や周辺の人たちの生活や不安を思うと、簡単に「分からない」と言いたくない。


自分の家に、ふるさとに、一生住めなくなるかもしれないこと。
いつ身体に影響が出るかという不安が、常に頭から離れないこと。


「分からないと言いたくない」というのが、今の実感に一番近い表現だと思う。