立派な人たち。


気持ち的には前向きなつもりなんだけど
体力無しのわたしが週1日休めるか否かの疲労に加えて、
さまざまな場面で出遭う問題の深刻さに
神経の振り幅が大きくなっているような気がする。


その中のひとつ、「不安定就労」をめぐる問題に関しては
一種の焦りさえ感じるようになってきた。
わたしにとっては『焦り』でも、当事者の多くにとっては
『絶望』だったり、そもそも何の期待もないのかもしれない。


「働かんヤツが悪い」
「親の教育がなってない」
「何の努力もしてへんくせに」


そーゆーオヤジやオトナたち。
あなたたちは、さぞかし立派な家庭で立派な教育を受けて
立派な仕事をして立派な子どもを育ててきたのでしょう。
そのような環境で育つことなく
右肩上がり経済の恩恵を受けることなく
助けてくれる人や組織に出会う機会さえなく
<自己責任>だけを押し付けられてきた人たちのことは
きっと想像もできないのでしょう。


わたし自身が育ってきた環境は
ひどく困窮もしていないし、かといって豊かなわけでもなく
自分自身がどっちに転んでもおかしくなかったと思っている。
そんなわたしに「社会というフィルターを通して物事を見ること」
を最初に教えてくれた両親には今さらながら本当に感謝している。
そういう意味でわたしは「豊か」な環境を与えられていた。


もらったものは自分にできる形で還元したいと思う。
「立派」を豪語するしょーもないオトナにはなりたくない。


★本日のBGM:Boredom(Buzzcocks)