『崇高な行為』

・・・・・・とゆー言葉が、先ほどTVから流れてきましたぞっ。
何のことかとゆーと『国のために命を捨てる』ってことが。
とかく“エライオジサマ”たちは自分の立場を守るのに必死な方が多い。
そのためなら人の命なんてどうなってもええらしいわっ。


先日10数年ぶりに、学生時代の同級生と再会。
一緒にバンドをやっていた縁もあって、楽しく飲んだわけだが、
ひとつだけ気になったことが・・・。


彼は家族と離れて広島に単身赴任している。
「子どもらは広島に遊びにけーへんの(来ないの)?」と聞くと
彼はこう言った。
「『広島は爆弾が落ちるんでしょ〜怖いからイヤ!!』やねんて(笑)。」
・・・・・・冗談なのかも知れない。
でも、61年前の現実は子どもたちに一体どう捉えられているのだろう?
わたしはやっぱりちょっと悲しくなった。


広島に育ったわたしは、老人たちから原爆に関する話を幾度も聞いた。
親戚の中にも被爆した人がいる。(周りの子もほとんどそうだった)
当事者から突きつけられる「現実」は、それを知らされる者にとって重くて苦しい。


こうとも言える。「重くて苦しい」のは、それが「現実」だからだ。
未来へ向かうには<現実>からしか出発できない、んちゃうかな。


★本日のBGM:Pretty Fly(The Offspring)