わたし自身へのメッセージ・故郷にて
‐(前略)いま神聖なものと呼ばれ、内容ではなく、その表紙があがめたてまつられているいろいろな本の中で、偉人たちは道を指し示したり、道標やちょっとした指示を残したりはできる。でもそうした指示は誰もが見えるようにそこにあるんだし、過去にも常にそこにあったし、未来でも常にそこにあるはずだよ。太陽の下では、新しいものなんか何もないんだよ。すべての道はローマに通ずさ。
でも、君には他人にその道を提供することはできないんだ。ぼくには君の目を醒ますことはできない。君になら、君の目を醒ますことができるんだ。ぼくには君の傷を治せない。君になら君の傷を治せるんだ。
(そのメッセージを世間の人たちに受け入れさせないようにしているのは何なのでしょうね。)
‐未知なものへの怖れさ。未知なものとはそういうものさ。未知なものを怖れるからこそ、みんな走り回って、夢や幻想や戦争や平和や愛や憎しみやら、あらゆることを追っかけているのさ。みんな幻想なのさ。未知なものとはそういうものさ。
未知だということを受け入れれば、あとは順調な航海が待っているよ。何もかもが未知なんだ。そういうものだよ。そうじゃないかい?
わたし自身へのメッセージ・故郷にて
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(茨木のり子)
■
もう最近ホルモンしか聴いてないですが、これは泣きそうになる。
「許す」だけなのです。
世界と自分
自分にとって、とても大きな意味を持つ選択をした。
その瞬間、これまで割と簡単に「自由になりたい」「自由になってほしい」
って言葉を口にしてきたわたしは気づいてしまった。
ああ、あれは本当に望んでいたわけじゃなかったんだな、と。
「自由になる」ってなんてむずかしいことなんだろう。
「自由」じゃない方が楽なことがたくさんある。
だからこれまでの長い間、わたしはそうじゃない生き方を選んできたんだな。
この世界は、なぜこんなにも不条理がまかり通るのかと思いながら
自分自身がその構造の中にすっぽりおさまっていたこと。
それはなぜか自分を「守る」殻のような存在でもあって
そこから抜け出すことが、本当はとても怖かったこと。
<人間を人間として考え
人間的世界としての 世界への自分の関係を よくよく考えよ>
18歳の誕生日に父が送ってくれたカール・マルクスの言葉。
マルクス主義とかそういうこととはたぶん異なる次元で
長い月日が経った今、わたしに再び送り届けられたメッセージかもしれない。