オトンの遺言vol.2


「オトンの遺言」という記事を数年前に書いたが
あれをシリーズ化しようと思いながら、結局できずじまいで今日に至る。
まあいつものわたしの三日(一日)坊主。


オトンの行動範囲は非常に限定された空間(ほとんど家の中)だったが
まるでそんな風に感じられない、思考と思想の豊かな人だった。
安倍さんがかつて首相を任期途中で辞めたときの記事なんか
サイコーだったんだけど。あの原稿、今も残ってるかしら?


反安保法案で日本にも「デモ」がまだ起こせるんだと実感した。
その一方でSEALDs批判とかもすごい。
8.6の広島に通い続けた学生時代を過ごしたわたしは
一貫して反戦・平和への希望を持ち続けている。
安保法案にも反対、なのだが。
なんだろうか、この違和感。


デモや反対運動を積極的に支持するスタンスであるはずの
自分が感じている「違和感」の正体は、一体何なのだろうか?
ふとした時に考え続けている。


手がかりは「相手の価値観」なのかもしれない。
自分の正論を主張し続けた結果、結局相手との溝が深まるばかりで
失望を繰り返してきた経験が、この違和感を生んでいるのかもしれない。


本当に平和に近付きたいなら、わたしはどうすべきなのだろうか?
例によって、オトンに意見を聞いてみたい気がする。