なぜ嫌いなのか


テレビで大阪市長が出てくると、チャンネルを変えてしまう。
話してる内容を聞いてみようかなと思っても、脳が拒否する。
要するに、嫌いなのである。


わたしは、思想や思考の自由を侵されることがたまらなく嫌だ。
「他国の尊重」とか「愛国心」とか「郷土愛」とか
そういうことって表面的な規制で育つわけねーだろと思う。
考えたり話し合ったりする力を奪っといて、ようゆーわ。


数年前、沖縄の美しい島にある国立の施設に泊まったとき
なぜか朝礼に必ず出なければならないという規則を知らされた。
しかも、各グループのうち1人が必ず「国旗」掲揚せねばならんという。
わたしは「なんで沖縄でそれをせなあかんねんっ」と拒否。
連れの1人が「あ、わたしそーゆーの全然平気なんでやります」と言った。
そして1人は「そんな早起きありえへんわ〜」と、朝礼自体をサボりよった。


決められたことや強制されること自体を考える。自分で選ぶ。
「次代を担う子ども」たちのことを思うなら、
そういう体験こそをさせてあげてほしい。