わたし自身を「リストラ」する。


年末年始は雪降り積もる実家にて、ダラダラ生活を満喫。
体調も良いしう〜ん幸先よし!と気楽な感じで大阪に戻る道中、
ギックリ腰(初めて)を患ひました・・・・・・;;
旧年中のストレスがまとめてキターーーっっ!!!って感じ。
このためお正月気分はぶっ飛び、「真剣にカラダを守らねばっっ」
リスク管理意識に満ち溢れた新年となりました。
め、めでたし。


しかし田舎のご飯はうまかった。(いつも書いてる・・・)
オカンの料理がうまい!とゆーこともあるけどやはり食材の数々も素晴らしい。
決して高級食材ではなく、オカンが育てた畑の野菜や近隣で育った牛や卵など。


さて、わたしは料理がかなり不得手でございます。(い、いつも書いてる・・・)
これには諸々の理由がございますがぁ〜。
最近時々思うのは、もし「家事」が有給労働であったとしたら
もっと真剣にトライしてしるのではないだろうか??とゆーことである。
わたしはもともと「仕事ができる」タイプの人ではない。
不器用だし、体力ないし、要領も物覚えも良くない。
しかし給料もらうため、とにかく根性を搾り出してやってきたようなもんである。
その過程の中で、しんどさと表裏一体のやりがいや楽しさを知ることができた。


けれど、いかんせん「家事」は無給労働なのである。
わたしにとって、根性搾り出してまでトライする対象にはならなかった。
それは労働に対する自分なりのランク付けであったかもしれないし、
不器用な自分が生きていくためのやむを得ない選択であったかもしれない。


そういう「ランク付け」から、自分の意識を一度解放してみよう思っている。
無給労働に価値を見出す」という意識転換の話ではなくて・・・
自分自身の価値基準そのものを捉えなおす・・・という感じ?
10代の頃に基礎工事を終え、社会人デビューしてからコツコツと築いてきた
「わたし」という家を、思い切って解体して新たに建て直すイメージか?
簡単に書いてるけどこりゃ大変でしちめんどくせえっ。


でもなんか、今の自分に必要なのはそのしちめんどくせー作業だという気がする。
「実利がない」とか「金にならねえ」とかいう染み付いた意識を取っ払わないと、
世に決められた「豊かな人生」ルールに乗っかっていくだけで、
自分が本当に納得できる生活が見えてこない気がしているのだ。
(※ただし生きていくためのお金は必要ですっ。)


この国で生きていくなら、生活の不安はどうやったってつきまとう。
金持ちの「勝ち組」になれない(ならない)わたしは
きっと一生、不安を拭い去ることができないだろうと思う。
このような環境に向き合いながら、内面の不安とどう付き合っていくのか。
諸々の不条理さに怒りを覚えるのはやめられない。
しかしまだ見ぬ近い将来が、何となく楽しみな気もしている。


★本日のBGM:Goodbye Yesterday(Jimmy Cliff)